2010年7月31日 最終収支報告


ご報告が遅くなり大変申し訳ありませんが、公認会計士による監査が終了致しましたので、最終の収支報告をさせて頂きます。

 >> 収支報告書(PDF)
 >> 監査報告書(PDF)

多大なご支援・ご協力を頂き、誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

事務局より

2010年6月4日 事務局よりご報告


6月2日、ゆうとくんを救う会きなちゃんを救う会に、7,546,330円ずつ寄付させて頂きましたことをご報告申し上げます。ご支援・ご協力いただきました皆様には、何卒ご理解いただきますよう宜しくお願い申し上げます。

事務局より

2010年3月10日 事務局よりご報告


昨日、熊本の美紗都ちゃんを救う会に1000万円寄付させて頂きましたことをご報告申し上げます。ご支援・ご協力いただきました皆様には、何卒ご理解いただきますよう宜しくお願い申し上げます。

事務局より

2010年2月22日 事務局よりご報告


2月19日、さやちゃんを救う会に1000万円寄付させて頂きましたことをご報告申し上 げます。ご支援・ご協力いただきました皆様には、何卒ご理解いただきますよう宜し くお願い申し上げます。

事務局より

2009年12月8日 事務局よりご報告


12月7日、富山県のゆうりちゃんを救う会に1000万円寄付させて頂きましたことをご 報告申し上げます。ご支援・ご協力いただきました皆様には、何卒ご理解いただきま すよう宜しくお願い申し上げます。

事務局より

2009年10月9日 事務局よりご報告


本日、福岡の 雄一君を救う会に500万円寄付させて頂きましたことをご報告申し上げます。ご支援・ご協力いただきました皆様には、何卒ご理解いただきますよう宜しくお願い申し上げます。

事務局より

2009年9月2日 事務局よりご報告


8月31日、まさひと君を救う会に500万円寄付させて頂きましたことをご報告申し上げます。ご支援・ご協力いただきました皆様には、何卒ご理解いただきますよう宜しくお願い申し上げます。

事務局より

2009年7月2日  事務局よりご報告。


本日、ほうちゃんを救う会まおちゃんを救う会に500万円ずつ寄付させて頂きましたことをご報告申し上げます。ご支援いただきました皆様には、何卒ご理解いただきますよう宜しくお願い申し上げます。

事務局より

2009年6月14日  移植手術から2年が経ちました。


遥香の命が紡がれてから、早いもので2年の歳月が過ぎました。消え入りそうな遥香の命の灯火を見つめながら、不安な毎日を送っていたころがまだつい最近のことのようでもあり、遠い昔のことのようにも思われます。

移植手術を受けてからの2年間で、身長は16cm伸び122cmになり、体重は8kg増え24kgになりました(移植手術を受けるまでの一年間は病気の進行のため、成長がストップしていました)。体力面では、お友達にまだまだ及びませんが、体格はクラスでも大きい方です。 月に1,2回は発熱を繰り返しており、まだマスク着用しなければいけませんが、嫌がることもなく毎日マスクをして元気に登校しています。

幼稚園の頃は休園期間も長く、また頻回に発熱していたためほとんど行事には参加していませんでしたが、遠足を始め少しずつ学校行事にも参加し遥香なりに楽しい学校生活がスタート出来ているようです。

病院ではちょっとした処置でも以前は大泣きしていましたが、少しずつ我慢が出来るようになってきたようです。日常生活でもちょっとした怪我でも大泣きしていましたが、最近の自転車の特訓では何度転んでも泣かずに自分から挑戦し、随分上手に乗れるようになりました。

運動制限の時期もあったりして出来ないことが多く、体力もないのですが、一つのことをやり遂げたことで、少し自信が付いたようです。今は、“うんてい”に挑戦しています。マイペースな遥香らしく、ゆっくりした歩みですが、確実に成長しているようです。

遥香の命が紡がれた「6月14日」は、ドナーのご家族にとっては深い悲しみに包まれた忘れられない日です。その子の命が今も元気に遥香とともに成長していることを今後も伝えることが出来たらと考えます。

移植からもう2年が経ちましたが、今遥香が目の前に存在し、私たちとともに時を刻んでいけるのも、救う会の発足から始まるたくさんの皆様のご協力があったからだと、ことある事に感謝の思いが呼び起こされます。

両親より

帰国してから1年が経ちました。


術後半年の現地での治療を終え、日本に帰国してから1年が経過しました。
帰国して間もなく、増え続ける不整脈から拒絶反応が疑われ、すぐに入院となり心筋生検、そしてステロイドパルス治療と落ち着かない日々を送っていました。幸いステロイドパルス治療が功を奏し、その後は拒絶反応もなく、経過しておりますが、帰国前より出現した不整脈は残り、不安材料の一つとなっていました。
その不整脈は昨年12月の肺炎の後、聴診上はそれまでとは打って変わって全く認めなくなっています。

一昨年の6月の心臓移植後、帰国するまでの半年で、身長は5cm、体重は5kgとぐっと成長したことを以前報告しましたが、帰国してからの一年でさらに9cm伸び、もう120cmになりました。体の成長だけでなく、最近では採血で大泣きすることなくぐっと我慢するなど精神面も少しずつ成長しているようです。
また、不整脈が激減したことは、遥香の成長とともに、ドナーとなられた方から遥香に託された新しい心臓がともに少しずつ成長し、遥香と新しい心臓の波長が以前より同期したように感じ、より感謝の気持ちを強くしております。

4才で心臓移植を受けた遥香ですが、この2月に誕生日を迎え、6才になります。そして、4月にはいよいよ小学校に進学します。今、双子の弟妹が、遥香が心臓移植を受けた時と同じ4才になり、体格もその頃の遥香とほとんど同じくらいです。弟妹を見ていると、同じぐらい小さい時に、たった一人で手術を頑張った遥香の内に秘める強い心に感心させられます。

これまで遥香を支えて下さった皆様には、本当に心から感謝しております。今後も遥香の成長を温かく見守って下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。

両親より

2009年1月1日 新年のごあいさつ。


新年あけましておめでとうございます。

今月の15日で、はるかちゃんが帰国してから1年になります。
帰国後の検査で拒絶反応を認めステロイド治療を受け、その後も肺炎にて入院したりと、必ずしも安定していたとはいえませんが、新たな年を迎えるこ とが出来ました。ご支援頂きました皆様には心より感謝申し上げます。本年も温かく見守っていただきますようお願い申し上げます。

また、12月24日に長野のなつくんを救う会に500万円寄付させて頂きましたことをご報告申し上げます。ご支援いただきました皆様には、何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。

事務局より

2008年6月23日 手術後1年が経過しました。


6月14日、はるかちゃんが心臓移植手術を受けて、1年が経過しました。

帰国後の心筋生検で拒絶反応を認め、白血球の低下や不整脈の出現などもありましたが、今月17日に行われた心筋生検では、拒絶反応の所見はなく、無事に術後1年を迎えることができました。
多くの方々から多大なご支援・ご協力いただきましたことに、改めて感謝申し上げます。

はるかちゃんは今後も免疫抑制剤の内服を続け、定期検査を受けていかなければなりませんが、ドナーから受け継いだ命を大切にし、元気に過ごしてもらいたいと思います。

今後とも、はるかちゃんを温かく見守っていただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

事務局より

2008年3月29日 事務局よりご報告


3月26日に、福岡の宇野純平くんを支える会に500万円を寄付させて頂きましたことをご報告申し上げます。ご支援いただきました皆様には、何卒ご理解いただきますよう宜しくお願い申し上げます。

事務局より

2008年3月23日 事務局よりご連絡


大変遅くなりましたが、はるかちゃんが帰国し、ロマリンダ大学から当初思ってもいなかった34.1万ドルもの多額の返金がありましたので、中間の収支報告をさせて頂きます。収支報告の欄をご覧下さい。

>> 2008年3月23日の収支報告

帰国後の心筋生検にて、拒絶反応を認め、はるかちゃんの状態が安定しているとは言えませんが、これほど高額な残金すべてを凍結する必要はないのではという意見があり、皆様から頂いた善意の募金が少しでも生かされるように、臨時総会を開催の上、会則第11条を下記のように改定させて頂きました。その上で役員会の承認を得て、私どもの救う会に多額のご寄付を下さり、現在も同様に活動をされている団体に、当初いただいたご寄付と同額を寄付という形ではありますが、はあとネット兵庫に900万円、日本移植支援協会に200万円を寄付させて頂きましたことをご報告いたします。
はるかちゃんのためにと頂いた募金であり、はるかちゃんを優先で支援させて頂きたいとは存じますが、今後、はるかちゃんの病状が安定しているようであれば、可能な範囲で他に移植を必要とする患者もしくは類似の団体に寄付させて頂きたいと考えております。ご支援ご協力いただきました皆様には、何卒ご理解いただきますよう宜しくお願い申し上げます。

改定前)第11条 余剰金

余剰金が発生した場合、それらははるかちゃんの術後の状態が安定するまでの間(原則として3年間)、凍結する。凍結期間解除後には他に移植を必要とする患者もしくは類似の団体に全額寄付する。

改定後)第11条 余剰金

余剰金が発生した場合、それらははるかちゃんの術後の状態が安定するまでの間(原則として3年間)、凍結する。凍結期間解除後には他に移植を必要とする患者もしくは類似の団体に全額寄付する。ただし、凍結期間内であっても役員会の承認を得れば、他に移植を必要とする患者もしくは類似の団体に寄付することができる。(太字は2008年3月8日改定追記)

事務局より

2008年3月22日 あれから1年が経ちました。


昨春3月22日に鹿児島県庁での記者会見を皮切りに募金活動を始めましてから、早いもので1年が経ちました。当初10人にも満たない救う会のメンバーに支えられて始めた募金活動ですが、支援の輪はその後加速度的に拡がり、鹿児島、熊本、宮崎の3県のみならず全国よりたくさんの浄財を承り、果ては海外からも励ましのメッセージや浄財が送られてきました。皆様の温かいお気持ちは大きな力となり、消え入りそうな遥香の命の灯火を必死で見守る私たち家族を、優しくそして力強く勇気づけて下さいました。

5月29日には渡米することができ、現地での生活にもようやく馴染み始めた矢先に、運命的なドナーとの出逢いがあり、6月14日アメリカカリフォルニア州のロマリンダ大学病院で心臓移植手術を受けることができました。手術は無事に成功し、術後最初の面会の時、初めて聴く新しい心臓の鼓動に感動の波が押し寄せ、涙をこらえることが出来ませんでした。その日から一日一日と快復していく遥香を支える日々が始まりました。

心臓移植の場合、急性期の拒絶反応などでの死亡はほとんど術後3カ月以内に起こっており、その間ちょっとした体調の変化にも神経をすり減らす日々が続きました。しかし同時に遥香の快復ぶりには、毎日驚かされ、そして抱えきれないほどの喜びをもたらしてくれました。術前の厳しい運動制限から解放され、術後初めて公園で思いっきり走り回った時の眩いほどの遥香の笑顔が今も目に焼き付いています。

定期検査を一つ、また一つとクリアーしていき、術後半年間の現地での治療を大きな問題もなく終え、平成20年1月15日に無事に帰国することが出来ました。しかし、ほどなくして拒絶反応が認められ、検査治療のため大阪大学医学部付属病院に入退院を繰り返しておりました。帰国後すぐに皆様にご報告すべきところでしたが、拒絶反応の件でご報告が遅くなりましたことを、深くお詫び申し上げます。幸い3月11日の心筋生検で拒絶反応は認められず、胸を撫で下ろしております。

国際心・肺移植学会の統計によりますと、小児の場合約80の施設で約400例の心臓移植が毎年行われています。昨年は、私の娘も含め、5人の子供が海外で心臓移植を受けました。しかしドナー不足は日本のみならずどこの国でも深刻な問題となっており、海外からの患者を受け入れることが出来なくなる日が来ることも十分予想されます。海外での移植にほぼ全面的に依存しなければならないこの現状を打破できる日が一日も早く訪れることを願ってやみません。

現在、拒絶反応に対するステロイドパルス療法が功を奏した遥香は、食欲も増し、毎日元気いっぱいに双子の弟妹と遊んでおります。拒絶反応を疑うきっかけになった不整脈はいまだ続いており、しばらくは検査を重ねる必要があるようです。

家族全員揃ってまた春を迎えることが出来たことを、これまで支えて下さった皆様に感謝するとともに、ドナーとなられたお子様の安らかなお眠りをお祈り申し上げます。

両親より

2008年1月22日 はるかちゃんが鹿児島に帰ってきました。


はるかちゃんが大阪の病院での検査入院を終え、昨年5月29日に渡米してから、約8ヶ月ぶりに鹿児島に帰ってきました。
渡米時は車椅子でしたが、本日は元気に歩いて帰ってくることができました。安定した状態が持続し、一日でも早く幼稚園に通える日が来ることを願っております。

また、同日、鹿児島空港にて帰国の記者会見をさせていただきました。多大なご支援・ご協力を頂きましたことに厚く御礼申し上げます。
今後ともはるかちゃんを温かく見守っていただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

事務局より

2008年1月15日 はるかちゃんが帰国致しました。


1月15日、午後5時過ぎに元気な姿で成田空港の到着ロビーに現れました。

昨年3月22日に募金活動を開始して以降、本当に多くの方々のご支援・ご協力を頂きました。そのお陰で、はるかちゃんは心臓移植を受けることができ、本日、無事帰国することができました。本当に本当にありがとうございました。皆様に深く感謝申し上げます。

また、この場をお借りして、改めてドナーとなられた方のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の方に心より感謝申し上げます。

事務局より

2008年1月8日 帰国日が決定いたしました。


帰国日程を調整しておりましたが、1月15日に帰国できることとなりました。

帰国後は1週間程度の検査入院となる予定ですが、まずは帰国日決定のご報告をさせて頂きます。 よろしくお願い申し上げます。

事務局より

2007年12月14日 術後6ヶ月が経過しました。


12月14日で、はるかちゃんの心臓移植手術が行われて、半年が経過いたしました。白血球が低下し免疫抑制剤の一種類が一時中止になったことはありましたが、拒絶反応の徴候を認めることなく、経過は順調であります。多くの方々のご支援・ご協力のおかげで、この日を迎えることができましたことを心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

はるかちゃんの近況報告にもありますように、術後6ヶ月を経過し帰国の許可をいただきましたので、帰国の日程を調整中でありますが、年内の帰国は困難な状況です。帰国日が決まり次第、ご報告申し上げます。

事務局より

2007年9月20日 ブログを作成いたしました。


心臓移植手術が行われて、3ヶ月が経過いたしました。
ご両親からの近況報告にもありますように、現在のところはるかちゃんの術後経過は順調です。
これは、ご支援いただいた多くの方々のおかげであります。 この場を借りて、改めてお礼を申し上げます。本当に、本当にありがとうございました。

現在、当サイトでは、ご両親によるはるかちゃんの近況を中心としてご報告させていただいておりますが、 はるかちゃんの術後経過・近況がわかりやすいように、募金開始から現在に至るまでの、ご両親からのご挨拶・ご報告をまとめたブログを作成させていただきました。

>>「 はるかちゃんの近況報告ブログ

今後、はるかちゃんの術後経過・近況等は岩下夫妻からブログで随時報告させていただき、 救う会から皆様へのお知らせ、ご連絡などは引き続き当サイトにてご案内させていただきたいと考えております。
なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

事務局より

2007年9月17日 術後96日目 術後3か月が経過しました。


13日は、免疫抑制剤の副作用を見るための腎機能の検査がありました。
いつもより早い7時30分からの心エコーの予約だったため、病院に着くと急いで受付を済ませ、エコーの待合室に向かいました。予約時間を過ぎていましたが、幸いこの日は患者さんが少なく、早くにエコーを終えることが出来ました。しかしこの日予定されていた腎臓の検査は、連絡が十分ではなかったようで予約が入っておらず、一時間以上待たされてしまいました。

診察では、術後3か月無事に経過したということで、お薬を2種類中止する旨の指示を受けました。前回の診察時の免疫抑制剤の減量は副作用があってのことでしたからまだ不安を感じていますが、急性拒絶反応の出やすい最初の3か月を無事に乗り切れたことを嬉しく思います。この日全部の検査が終わったのは13時過ぎでした。いつもより長かったためちょっと疲れた様子でしたが、マクドナルドハウスに帰り、弟妹と遊び始めたら疲れもどこかへ行った様子でした。

この日の夜は、術後3カ月を無事に乗り切ったということで、手作りのケーキでささやかなお祝いをしました。

最近、遥香は胸の傷を気にするようになり、胸元の見えるTシャツは嫌がるようになりました。手術をしたという事実は少しずつ受け入れてきているようですが、弟妹にはない胸の大きな傷を自分でも見たくないようで、隠してしまいたいようです。しばらくは遥香の思うようにさせ、徐々に受容できるように、説明していきたいと思います。

昨日から急に涼しくなり、一日中くしゃみをしていました。エアコンで室温を調節するよう気をつけていたのですが、気温差についていけなかったのでしょう。悪化しないことをただ祈るばかりです。

術後3か月を無事に乗り切ることが出来て、ようやく遥香の未来を考える余裕が出てきました。遥香がここまで元気に快復出来ましたのも、ご支援してくださった数えきれないほど多くの方々の想いがあったからだと、心から感謝しております。最後になりますが、ドナーとなられた方のご冥福をお祈りするとともに、重大な決断をされたそのご家族に深く感謝申し上げます。

9月18日 両親より

2007年9月11日 術後90日目


数日前よりようやく暑さが和らいできました。
といっても、日中は35℃を超え日差しはまだまだ厳しいのですが、日陰にいれば風も気持ちよく、遥香の大好きな公園にも再び出かけることが出来るようになりました。

近所に何カ所か公園があるのですが、遥香は、青色、黄色、緑色の公園と色で区別しているようで、今日は「何色の公園に行きたい」と言います。いったいどこの色で区別しているのかなと思っていましたが、遊具にある車のハンドルの色だと気づきました。このことが分かってからは遥香の希望する公園に行けるようになりました。

最近は知人に教えていただいた公園にも時々出かけるのですが、その公園の名前は「LEONARD BAILEY PARK」といいます。Lenard Baileyとは、ここロマリンダ大学の心臓外科の教授の名で、乳児の心臓移植の権威であり、その業績を称えて1996年にこの公園が出来たとのことです。今でも現役で、外来では毎回元気な姿をお見かけします。

前回の外来では、採血の結果で免疫抑制剤が減量となりました。
理由が告げられなかったため、後日通訳の方にお願いして移植コーディネーターに電話で質問してみたところ、副作用で白血球が減少傾向にあるため量の調節を行ったということでした。免疫抑制剤を減量するということは、拒絶反応のリスクが増すことであり、やはり不安を感じずにはいられません。このような簡単な質問でさえ思うようにできず、海外で医療を受けることの難しさを痛感した出来事でした。

今週は、免疫抑制剤の副作用をみるため腎機能の検査が行われます。最近は朝方には15℃近くまで気温が下がり、日中との気温差は20℃を超えるため、風邪など引かせぬように十分に注意して遥香の体調管理に努めたいと思います。

9月1日 両親より

追伸

遥香と同じ拘束型心筋症で、今年1月5日にここロマリンダ大学病院で心臓移植を受けられました上田さくらちゃんが9月10日に帰国しました。遥香は会ってすぐにさくらちゃんのことが大好きになり、「さくらちゃんはこれ出来るよ」というと、「よーし、私だって!」といっていろんなことをがんばるようになりました。また会える日を夢見てしばしのお別れです。さくらちゃん、本当にお疲れ様でした。

2007年9月1日 術後80日目


9月になりました。渡米してから早いもので3か月が経過しました。
最近では40℃を超える日々が続いており、遥香の大好きな公園になかなか連れて行くことが出来ません。8月前半までも40℃を超える日がありましたが、日差しをしのげば比較的涼しく過ごせたものですが、8月後半からは日陰にいても暑さを感じるほど今までとは違った暑さで外での遊びがどうしても制限されてしまいます。

最近はおうちでの遊びが中心となっていますが、弟妹と一日中飽きることなく過ごしているようです。遥香はお医者さんごっこが好きで、毎日のようにしています。患者さんはお人形だったり、弟妹だったりと様々ですが、体温測って、血圧測って、聴診して、そして採血と、黙々と進めていきます。弟妹も患者さん役を黙って引き受けてくれるので念入りな診察が繰り広げられます。最後はお薬ですが、自分が毎日するように注射器でお薬を飲ませて、お布団をかけて終わりです。

先日の外来では、免疫抑制剤の量が少し減りました。まだ3か月も経たないこの時期での減量が少々不安になりますが、裏を返せばそれだけ順調に経過している証拠なのでしょう。実際、食欲もあり順調に身長も伸び、体重も増えていますし、何より手術前と違い疲れることなどなく私たちのほうが参ってしまうほどです。

今月は術後3か月目にあたり、心筋生検が月末に予定されています。拒絶反応の徴候が見られないことをただ祈るばかりです。

9月1日 両親より

2007年8月23日 術後71日目 浅田真央ちゃん、村上大介君来訪


この日は、日本を代表するフィギュアスケート選手の浅田真央ちゃん、そして去年まではアメリカ代表として活躍していました村上大介君が、ロマリンダに遥香と上田さくらちゃんを激励に来て下さりました。浅田真央ちゃんは1年のうち何ヶ月かをここカリフォルニアに滞在し、練習されているということです。

たくさんの病院スタッフの方や取材に訪れたTV局のカメラに囲まれ、ずっと緊張していた遥香ですが、優しく話しかけてくださる真央ちゃんのお陰で、取材が終わった後は笑顔でお話できました。お二人からのかわいらしい素敵なプレゼントに遥香もさくらちゃんも夢中で遊んでいました。 そして取材後には、お二人のお母様方からも温かい励ましの言葉を頂きました。
遥香の弟妹にとっては初めて訪れる病院であり、遥香は「ここ、はるちゃんが行く病院だよ」と説明していました。たくさんの病院スタッフの方々も集まり、いっぱいお話ができ、弟妹はずっとはしゃいでいました。

帰りには公園に寄りました。最近ずっと暑かったため夕方外に出ることが出来ませんでしたが、この日は風が気持ちよく、またさくらちゃんもいたため4人で長い時間何度も滑り台を滑っていました。
帰宅してからは、「またお姉ちゃん、会えるかな?」と何度も聞いてきています。「日本に帰ったらお姉ちゃんたちの応援に行こうね」と返事すると、嬉しそうにしています。

忙しいスケジュールを調整し、わざわざ来てくださった浅田真央ちゃん、村上大介君、本当にありがとうございました。

8月24日 両親より

2007年8月13日 術後61日目 発熱


ちょうど2ヶ月目にあたるこの日、遥香は朝6時前より激しいお腹の痛みで目が覚め、30分以上お腹をさすってあげると痛みが和らいだようで再び眠ってしまいました。
しかし、朝食中より寒気を伴って再びお腹を痛がり出し、寒気が治まる頃には37.8度まで熱が上がりました。
すぐに移植コーディネーターに連絡を取りましたところ、ちょうど心臓移植部門の外来日だったため移植外来を受診するように指示がありました。家を出るまで遥香はお腹を痛がりぐったりしていましたが、その後は少しずつお腹の痛みも落ち着いたようでした。

長い待ち時間の後、コーディネーターとの面談と、主治医の診察がありました。念のため心エコー検査がありましたが、特に拒絶反応の徴候はなく、今回の発熱やお腹の痛みはウイルス性のものでしょうということで、特にお薬もなく帰宅となりました。

夜には熱も下がり、私たちもひとまず安心しました。以前ならまだ気にするほどではない程度の発熱でしたが、移植後2か月というこの時期での激しいおなかの痛みも伴う発熱は拒絶反応の疑いもあり、心エコーの結果が出るまでは背筋が寒くなる思いでした。

翌日にはいつもの元気な遥香に戻っていました。しかもなぜだかいつも以上にお手伝いをしてくれ、お昼にはタコ焼きを13個もたいらげるほどいつも以上の食欲でした。
14日には一か月以上続いた咳がようやく止んだようです。

8月14日 両親より

2007年8月10日 術後58日目


もうすぐ術後2カ月になります。

先週より週2回から1回へと通院回数が減りました。順調に回復しているようで、8月9日の外来では、術前よりずっと内服していた利尿剤が中止となりました。
この日は、いつもと検査の順序が違い、着いたとたん採血となってしまったため、心の準備が出来ていなかった遥香は思わず逃げ出そうとしました。採血に向かう時足取りは重くても逃げ出すことなんてなかったのですが、まだまだ慣れるまでには時間がかかりそうです。

悪化しないかと心配していた咳は、喘息の吸入薬で一旦は治まりましたが、数日前より少しずつまた咳をするようになりました。熱は一度も出ていませんので来週の外来の時にレントゲンを撮ることになりました。普段なら気にも留めない程の咳ですが、心臓移植からまだ日も浅いこの状況では大事に至らないか心配してしまいます。

術後6週間頃より許可が出た公園通いを遥香は毎日楽しみにしています。それまでは夕方少しの時間だけ散歩に出るだけで家に閉じこもる生活でした。半年以上我慢していた公園は本当に楽しいようで、同じ公園に連日通っても飽きないようです。 一度公園に行ってしまうとどんなに暑くなろうともなかなか帰ろうとしません。私たちも楽しそうに走り回る遥香を見ていると、少々長居をしてしまいます。

知人より頂きました絵本を毎日寝る前に読んで聞かせています。数日前より遥香は弟妹に読み聞かせのマネをするようになりました。読み書きはまだ出来ませんが、あらかた覚えている話は、上手に読めるので、双子は、私たちが読んであげるよりも、じっと聞いている様子です。もっとたくさん絵本を持ってくればよかったなと少し後悔しています。

次のステップは術後3か月目となる9月にある心筋生検です。それまで風邪など引かないように遥香の体調管理に努めたいと思います。

8月10日 両親より

2007年7月25日 術後42日目 術後6週間が経過しました。


もうずいぶん体力も戻り、一日中家の中を走り回ってもまだ体力が余るようなので、 公園に行くことも許可されたこともあり朝の比較的涼しい時間に公園に行きました。

公園といっても点在する病院の施設群の敷地内にある名もない小さな場所です。
久しぶりに見る遊具を前にして遥香は「遊んでいい?」とおそるおそる聞いてきました。
術前マクドナルドハウスの庭にある遊具で遊んでいた時もすぐに息切れがして咳が出るため、弟妹が走り回って遊ぶのを泣きながらじっと我慢して見ていました。

「いっぱい遊んでいいんだよ」と言うと、「走っちゃダメ?」とさらに聞くので、もちろんOKすると、ちょっと驚いた様子を見せた後、すぐに嬉しそうに走り出しました。
時々通る飛行機やヘリコプターを見上げて手を振っては、帰る頃までずっと弟妹と走り回って遊んでいました。晴れの日ばかりで日中はとても暑く外に出る時間は朝夕の限られた時間しかありませんが、朝の公園、そして夕方には日課になっているロマリンダ大学までのお散歩の時間を楽しみにするようになりました。

先々週より続く咳のため7月19日の診察では、レントゲンを撮りましたが、肺炎の所見は認めないということでした。そうひどくはないのですが咳が続くので、23日より喘息などで使用する気管支拡張薬という種類のお薬の吸入が開始となりました。

今のところ大きな変化はないようで悪化しないことを祈るばかりです。

7月26日 両親より

2007年7月12日 術後29日目


数日前より風邪を引いている遥香ですが、この日は術後1ヶ月目の心筋生検の検査がありました。幸い急性心膜炎の方は、お薬で治まり大事に至ることはありませんでした。

12日は、朝8時にObservation roomに入ると簡単な診察があり、ささっと着替えを済ませ、点滴が始まり、まもなく検査へと向かいました。
検査は40分ほどで終了しました。その後3時間の安静は、今の元気な遥香には少々辛そうでしたが、特に問題なく、13時半には家に帰ることが許可されました。検査が始まるまでは、緊張した様子の遥香でしたが、帰るときには元気いっぱいで大きな声で「バイバイ」をしていました。
家に帰ってからはいつもの元気な遥香でしたが、2日間は走り回ったりしないように注意されており、お絵かきなどをして過ごしました。夜には日本の幼稚園の先生にお電話しました。遥香は電話で、「せんせい、はるちゃん大きい注射したんだよ!」と今日の検査の事を報告していました。
検査の結果は13日午後に移植コーディネーターより電話で報告がありました。今回の生検でも拒絶反応の徴候は見られないということでした。

早いもので手術をしてから一ヶ月が経ちました。食欲がなく辛そうに食事をしていた手術前とは違い、今の遥香は本当に楽しそうに食事をします。拒絶反応や感染に対する不安や薬の副作用ことなど心配事は多いのですが、遥香の食事の様子を見ているときはそんな不安も和らぎます。

心臓移植を決意してからずっと私達家族を支えてくださっている救う会、募金活動を支えてくださったボランティアの方々、そしてご協力してくださった数え切れないほど多くの皆様のお蔭で、そして、ここロマリンダでは、今年1月に心臓移植手術を受けた上田さくらちゃんのご家族と、通訳をしてくださる日本人ボランティアの方々を始め、病院スタッフのご協力もあって、無事にここまで来ることができました。

今、遥香は毎日を精一杯楽しく生きています。ドナーとなられた方、そして重大な決断をしてくださったそのご家族の思いに応えますよう、私達家族一丸となって遥香をこれからもずっと支えていきたいと思います。皆様、本当にありがとうございます。

7月13日 両親より

2007年7月02日 術後19日目 救急外来受診、そして入院


6月28日の外来後、とても元気な遥香でした。7月1日夜になり、突然左側の脇の下から脇腹にかけての痛みを訴え、聴診すると心雑音が聴かれるようになっていたため、7月2日の午前1時20分にロマリンダ大学病院の救急外来(ER)を受診しました。
通訳の方の都合がつかなかったのですが、ERに勤務されている日本人医師に連絡を取りましたところ、直ぐに駆けつけてお手伝いしてくださりました。

エコーでは、心臓の動きに問題なく、レントゲン、心電図、採血では拒絶反応を示す所見はなく、念のためそのまま入院となりました。
朝になり、再度心エコーが行われ、拒絶反応の徴候がないことを再度確認されたので、ひとまず安心できました。
診断は、急性心膜炎とのことで、炎症を抑える薬が新たに追加され、その日の夕方には退院することが出来ました。

翌日には胸の痛みもなくなり、4日には心雑音も聴かれなくなりました。

7月4日 両親より

2007年6月30日 事務局よりご報告。


6月30日、はるかちゃんを救う会の総会を開催いたしました。
今回の総会の内容に関しまして、6月28日時点での収支速報と併せて、この場をお借りしてご報告案内させていただきます。
今回は取り急ぎ速報という形での収支報告をさせていただきますが、募金・事務所費など収支の内訳・詳細に関しましては、改めてご報告させていただきたいと考えております。

2008年2月29日現在の収支報告(速報)
残高46,534,494円
収入総額 140,778,453円 支出総額 94,243,959円
募金 144,770,751円 デポジット 90,951,500円
預金利息 7,979円 渡航費 2,775,426円
    事務所費 517,033円

また、はるかちゃんの渡航・心臓移植手術の成功に伴い、 事務所への問い合わせもなくなりましたので、 事務所費削減のため、事務所の賃貸契約を6月末日までとさせて頂きました。これに伴い、会則第2条を総会での承認の上、下記のごとく改定させて頂きましたので、この場をお借りしてご報告させていただきます。

改定前)
第2条 事務所 本会は、主たる事務所を鹿児島県鹿児島市谷山中央一丁目4196(川島病院の敷地内)に 置くこととする。

改定後)
第2条 事務所 本会は、主たる事務所を鹿児島県鹿児島市谷山中央一丁目4196(川島病院の敷地内)に 置くこととする。尚、募金活動終了後、事務所は廃止する。

誠に勝手ながら、事務局へのお問い合わせなどがございましたら、メールにてご連絡いただきますよう、お願い申し上げます。

2007年6月25日 術後12日目、退院後初めての外来でした。


この日は、朝8時より心エコー、レントゲン、採血があり、医師の診察、薬剤師、移植コーディネーターとの面接がありました。
自宅では泣きながら内服しているお薬ですが、この日、採血後に外来で内服したときには周りに人がいたこともあり、上手に飲んでいました。
医師の診察では調子が良いということで利尿剤が3分の1に減量になりました。ひとつだけでもお薬が減ることは嬉しいことです。
しかし、これはまだ早急だったようで、翌日には顔のむくみがでてしまい、移植コーディネーターと連絡を取り、利尿剤が元の量に戻りました。手術前、半年間利尿剤を飲んでいたため、少ない量ではまだおしっこが出ないということでした。これはまだ時間がかかりそうです。 検査結果の確認や、免疫抑制剤の血中濃度の確認は、午後に移植チームでするということで、もし問題があれば電話するからと笑顔で帰されました。

26日にむくみの件でコーディネーターと連絡を取った際に聞いたところでは、心筋生検では拒絶反応の兆候は全く見られないということでした。 25日の午後は、自宅の木陰でシャボン玉をして遊びました。黙々とシャボン玉を作る遥香に、汗だくになりながらシャボン玉を追いかけ続ける弟、芝生で寝転がる妹と楽しそうな3人でした。
手術をしてからまだ2週間もたっていませんが、ずいぶん経過したように感じられる午後の時間でした。 食欲も出てきたようで、手術前は、泣きながら食べることもあったのですが、今では一番最後まで食べている遥香です。

6月26日 両親より

2007年6月22日 術後9日目、術後の経過は良好で、本日退院となりました。


手術後9日が経過しましたが、拒絶反応を疑わせる徴候はありませんでした。
経過は良好で、日本時間の6月23日午前9時頃に退院となりました。

21日の心筋生検後より、明日は退院かもと説明があっていましたが、22日に心エコー、レントゲンの検査があり、特に問題がないということで退院となりました。
気になる心筋生検の結果は聞けませんでしたが、次回の外来で説明があるということでした。 これからは1週間に2回の外来受診をしながら、遥香の経過をみていくことになります。
遥香は、入院の後半は、「おうちに帰りたい」と笑顔も見られず、食事もほとんど摂らず落ち込んでいました。弟妹に会いたい気持ちが強いようだったので、許可を頂き、家に電話する毎日でした。
帰宅後は、明るい笑顔も見られるようになり、ずっと弟妹と会話をしていました。
しかし、まだ体力が十分に回復していない遥香はすぐに疲れたようで、21時前には自分から眠りにつきました。術後まだ1週間程度しか経っていませんが、術前と明らかに違うのは氷のように冷たかった手足に温もりが戻ったことです。
今思い返せば遥香の手足はいつの頃からかひんやりと冷たくなっていました。子供なのに冷え性?と疑問に思っていましたが、今では心臓病のせいだったと理解出来ます。
夜早く就寝する遥香にとって、深夜0時の内服はお薬を飲まなければいけないと理解していても本当につらそうです。
これからも続くこの時間帯の内服に早く慣れてもらいたいものです。

6月23日 両親より

2007年6月21日 術後8日目。


術後1週間目の心筋生検がありました。
朝から絶食だったため、13時過ぎに検査に行くまで空腹に耐えきれずずっと涙ぐんでいました。
検査を終えて帰室したときには「おにぎり」と泣きながら訴えていました。
食欲が出てきたのは回復してきている証拠でしょう。術後一週間が経過しましたが、今のところ発熱もなく、拒絶反応の兆候も見られず、経過は良好と説明がありました。

6月22日 両親より

2007年6月18日 術後5日目。


術後、少しずつ回復している遥香を今悩ましているのは、 内服に切り替わった免疫抑制剤が深夜と早朝にあることです。
また深夜に利尿剤の注射もあり、就寝後は1時間半から2時間おきに起こされるため、十分な睡眠がとれず、日中もうとうとしています。
定期的に痛み止めが使用されるため、痛みを訴えることはありません。
今の遥香にとって一番の楽しみは、内線でつながっているマクドナルドハウスへ電話することです。
ハウスで待っている弟妹の声を聞くことが遥香の元気の源になっているようです。

6月18日 両親より

2007年6月18日 はるかちゃんの手術後の様子が届きました。


術後2日目である15日より歩行練習が始まりました。

たくさんのカテーテルやドレーンにまだつながれており、 沈み込んでいた遥香を説得するまでには時間がかかり、 その日歩行練習が実際に出来たのは、既に21時を回っていました。

長いICUの廊下を4往復することがその日のノルマでした。 最初はふらつきながら、不安で座り込んだりもしましたが、 途中たくさんの医師や看護師の方々に褒められ、4往復をすることが出来ました。

16日には7往復と増えたノルマも、自ら進んでクリアすることが出来ました。
前日には周りを見る余裕はなかったのですが、この日はゆっくりとほかの病室をのぞきこんだり、 壁の絵を眺めたりとその回復ぶりに目を見張る思いです。

15日夜よりおしっこがたくさん出るようになり、その都度トイレに歩いて行きました。 免疫抑制剤を内服へと移行させるため、この日より内服が始まりましたが深夜と早朝に起こされ、 3度トイレに行ったこともあり、十分には眠れなかったようです。

術後、遥香にお薬を飲むことや、食事をもっと食べるようにとお願いすると、 小さくうなずいた後に「でも、でも・・・」と言うのが口癖になっているようです。
まだ幼い遥香なりにしなければならないことは分かっているようですが、 それでも出来ないといったところでしょう。時間は人一倍かかっていますが、 何度も説明してあげると頑張って一つ一つクリアしていっています。

今遥香は、弟妹を心配しすぐにでも会いたい様子で、このシャボン玉は弟に、 この風船は妹にと自分が入院してから頂いたおもちゃを分け与える準備をしています。
15日の検査では今のところ拒絶反応の兆候は認められないということでした。

2007年6月16日

2007年6月15日 手術後の経過は良好。


6月13日午前6時45分、それは突然の電話でした。

Loma Lindaに来てから2週間が経過し、こちらの生活にもようやく慣れてきた矢先の出来事でした。 それはドナーが現れたとの電話でした。
こちらにきて1週間が経過したころより少しずつ移植の日が近づいてきていると感じていましたが、 それでも16日目でのドナーの出現は全く予想もしませんでした。

入院の準備を済ませ、10時に病院に入りました。ここでは術前も集中治療室に直接入院します。 入院してすぐにぬいぐるみなどのプレゼントがあり、笑顔も見られていた遥香でしたが、点滴を確保してからは黙ってしまいました。
今日は朝起きてから手術をするんだよという説明を何度も繰り返しましたので、 いつもの入院とは違うということがわかっていたようでした。

15時20分、手術室のドアの向こうに遥香は泣きながら入って行きました。 手術着に着替えてから遥香は妻の手を握って放そうとはしませんでした。
今までに見たこともないほど、緊張してこわばった顔をして、ベッドに寝ることも恐れ、ベッドに座ったまま手術室に向かったのでした。

16時、手術が始まりました。双子の面倒をみるために妻をマクドナルドハウスへと送り、私は病院の待合室で待つこととしました。 待っている間は次から次へと頭によぎる不安を払拭しながら、ただひたすら遥香の無事を祈り続けました。
21時20分、集中治療室前の待合室に場所を移して間もなく、遥香を乗せたベッドが帰ってきました。 たくさんのチューブやカテーテル類に囲まれた遥香はまだ麻酔が十分に効いており静かに眠っていました。

21時50分、執刀医から手術が無事に終わったということ、もう気管内挿管チューブが抜けて自らの力だけで呼吸していること、 新しい心臓が元気に動いていることの説明がありました。 そして拒絶反応を抑えるべく、免疫抑制剤の投与が既に始まっていることが付け加えられました。

それから30分ほど経過し、遥香と手術後初めて面会することが許されました。
痛み止めが十分に効いているので痛みはあまり感じていない様子でしたが、しきりに喉の渇きや空腹感を訴えていました。 私はあふれる涙をこらえながら、「よく頑張ったね、本当によく頑張ったね」と頭を撫でながら話しかけると、 まだ焦点の合わない目を見開いて、小さくうなずいてくれました。
痛々しいまでのたくさんの点滴類に囲まれた遥香を見ながら、心臓移植を終えた実感が強くなってきました。

今、こうして心臓移植手術を受けることが出来ましたのは、 遥香のために集まってくれた救う会の友人らや、 募金活動にご協力してくださった数えきれないほど多くの方々のお陰だと感謝しております。
そして移植手術を無事に成功させてくださったロマリンダ大学病院の素晴らしいスタッフに感謝します。

心に最も強く思うのは、我が子を失うという耐えがたい状況の中で、 臓器提供という大きな決断をされたドナーのご家族への感謝の思いです。
今は遥香の快復を祈るとともに、ドナーとなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。

2007年6月14日

2007年6月14日 心臓移植手術が行われました。


日本時間6月14日午前8時から、午後1時10分にかけて、
はるかちゃんの心臓移植手術が行われたと連絡がありました。
多くの方々のご支援・ご協力で、この日を迎えるかとができましたことに心より感謝申し上げます。

また、臓器を提供してくださった方のご冥福をお祈りするとともに、それを決断してくださったご家族の方に深く感謝申し上げます。

臓器を提供してくださった方のためにも、はるかちゃんが頑張ってくれることを信じております。